▲ Junction Peak      


     1994年1月22日  <上信国境>

四 阿 山 往 復

     文:副枝 かおる    

◆日程 :前夜発日帰り(車)翌日浅間山雪訓

◆コース:四阿山ホテル駐車場 〜 別荘地 〜 牧場 〜 四阿山 〜 往路を戻る

◆メンバー:木下、村松、鈴木、副枝

◆地図(1/2.5万図):四阿山

 私が「すずらん」に入会したのが93年の秋だったから、もうかれこれ1年半になるわけだ。大体、すずらんの存在を知 ったのは、職場の上司とそのご友人、私の3人で飲んでいたときのこと。だいぶできあがったあげくにその上司の友人 が、またまたその友人であるところのわが会の原田氏に電話して紹介してもらったという、ほとんど酔ったはずみの突 発的出来事という、いいかげんなものだった。軟弱かついい加減な、「たのしけりゃいいや」的な「週末ハイカー及びテ レマーカー」(人によっては今でも同じじゃないかという意見もあろう)で、すずらんが「沢登りと山スキーの会」であるこ とも知らなかった私にとって、この1年半は未知との遭遇の連続だった。細かいことを挙げればきりがないが・・・・・、 ・駐車場にテントを張って寝る・駅に泊まる・服を着たまま、かつ靴をはいたまま水に浸かる(言うまでもなく沢登りのこと)・見知らぬ(もっとも閉店後の店や、もう使ってない廃屋になりかけた小屋だったが)家の軒先を借りて寝る     ・垂直の(私の目にはそう見える)岩をよじ登る(特に岩トレ)・ロープにぶらさがって宙ぶらり状態になる(なりたくてなったわけではないけれど)・視界が悪い中でも、磁石と地図を使うとちゃんと目的の場所につく(あたりまえか) 等々、新鮮な経験の連続だった。なかでも岩トレ。商売柄高いところは上がり慣れてるつもりだったのに、いや、おっ かないものだ、高いとこって。足はガタガタ、腕はガクガクで、ザイルをいまいち信用できなかった私は、まじめに生命 の危険を感じてしまった。おまけに次の日の夕方、仕事が終わって、「さあ、一杯やるぞ。今日も元気だ、ビールがうま い」というささやかな人生の楽しみに突入しようと思ったら、指に力が入らず缶ビールのプルトップがあけられなかっ た。情けなかった。参りました。

 さて、すずらんにおける私の山スキーデビュー戦は、94年1月22日(土)。場所は四阿山。メンバーは木下さん、鈴木さん、村松さん、私の4人。今考えるとそうそうたる人たちに連れていっていただいたのだった。

 金曜の夜東京を出て四阿高原ホテル駐車場にて泊、四阿山往復して翌日は雪訓に参加という予定だった。私はテレ マークスキーで参加。ここからは、あまり頼りにならないメモと全然頼りにならない記憶が頼りなので、正確さに欠ける かもしれない。

<四阿山へ>  当日の天気はまあまあ。AM8:00ホテル駐車場発。別荘地を通って放牧場をぬけて最初の休憩をとった。 おお、景色がいいぞ。浅間が見える。明日はあそこで雪訓か。と、ここまで(ほんの1時間くらい)はよかった。ここから斜度が少しずつついてくる。たぶん私がいるからゆっくり歩いてはくれているのだろうけど、段々つらくなってきた。 樹林の中で大休止をとって一息ついて、 11:45に山頂着。風が強くてとても寒く、靴紐を結び直そうとしたがスパッツのファスナーが凍って動かない。さっさと退散ということで12:00山頂発。

<地獄のスキー滑降>  やれやれ、やっと下りだ。滑れるぞ。それ!ところがこれがあまかった。本当の地獄はこれから2時間、朝、出発したホテルの駐車場にたどりつくまで延々と続くのであった。 だいたい、私がそれまで滑っていたのはゲレンデで、それ以外は四阿山のおとなりの根子岳(といってもここはほぼ山頂付近まで圧雪してある)、八幡平、北八ヶ岳での雪上ハイキングぐらいなものだ。スキーがうまくないというのか、はっきり言って下手なせいもさることながら、自然の状態の雪がこんなに滑りにくいとは思ってもみなかった。 曲がろうとする度にこけ、しまいには起き上がってはこけ、もう何度転んだことか。かるく見積もって100回は下るまい(少なすぎか)。 「テレマークにはボーゲンってないの?」という貴重なアドバイスをいただいたときは時すでに遅し、膝はガクガク、ももはパンパン、全身クタクタ(同じようなせりふを岩トレのところで使ったなあ)で、「もうボーゲンも何もできないもんね」状態だった。スキーをはずして歩いた方が早かったんじゃあないだろうか。 ほとんどやけくそでやっとの思いで終点についたときは、「とにかく無事で何より」という、静かな悟りの境地に達していたのだった。 こんな具合で、私の山スキーデビュー戦はとうてい華々しいとは言いがたく、悲惨なものだった。 蛇足ながらその後、温泉につかったあと、テントの中の楽しい晩飯(鈴木さんのキムチ鍋だった。おいしかった。)及びそれに続く飲み会ですっかり気をとり直して元気になって、「山スキーって大変なんですね。もっと練習します。」と雄々しく決意表明した私は、「いやぁ副枝さん、ゆっくりやろうよ」と水をさされてムッとして、それからの残りシーズン中ゲレンデにせっせと通って腕を磨き、自分ではだいぶうまくなったと自信をつけて、翌シーズン再び(今度は嬬恋側から)四阿山に挑戦したのだが、またもや悪雪の前にすっかり自信をなくしてしまう結果になったことをここに付け加えておく。教訓:せいては事をしそんじる。山スキー(テレマーク)って難しい。・・・

 


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